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人間について真面目に考えてみるブログです。

女性のための男学入門:ヤリモクの病(前編)

 コロナ禍によってすっかり変わり果ててしまった世の中ですが、不思議なことに変わらないこともあるようで、はいそうです、今年もまた例年通り不倫問題が世間の注目をあびているのでした。

 嫌味なインテリたちは鼻をつまんで素通りするのが習わしですが、どうやら私は知的なことばかりには目を向けられないで、低俗な問題にも時間を浪費したくなる質みたいです。それはおそらく私が、読書や超俗的なことをこよなく愛しながら、そんなものとは無縁の現代人らしい日常に身を置き、出家できずに執着しているからなのでしょう。

 と言いますのも、何を隠そうこのわたくし、複数のマッチングアプリに課金し続けてはや3年、1000近いイイネを女性の皆さんに送りつけ、マッチングしたのはせいぜい100人くらい、その中でもご返答頂けたのがおよそ半分程度、1週間以上続いたのが10人とちょっと、お会いできたのが2名、うち1人から30万円のノウハウ系商材を持ちかけられるという、これから出会うかもしれないお嫁さんには口が裂けても言えない惨憺たる結果なのです。

 こんなわたくしですので、芸能人の不倫が公に暴露されるのは決して他人事ではない。なぜといえば簡単な話、不倫が取沙汰されるたびに女性のみなさんの警戒感が増して、ただでさえマッチングするのも困難な恋活やら婚活やらが、いっそう困難になってしまうのではないかと危惧しているからなのです。

 おまけに頭がお花畑な私は、すぐに他人を信用してしまうものですから、これといって怪しい所作はしていないのに頭から警戒されてしまうと、なかなか悲しくてへこんでしまうのです。ですから、こうしたゲス不倫によって信用を失ってしまうのは、心も痛いし、悲観的になってしまう。悲観的、と言いましたが、女性の皆さんが抱く悲観的な思いとは全く別種のものであることは、言うまでもないでしょう。

 
 イメージと現実があまりにかけ離れている。こんな思いはきっと、男が抱くよりも女性の方が抱いていることでしょうし、ますます強まっていることでしょう。「私の抱くイメージは本当に現実なのか?」そんな風に思い悩んでいる女性は数知れない。

 目下、女性の皆さんからすれば、異性に対する失望は極めて一方的で、女ばかりが馬鹿を見ている、そんな風に感じられているかもしれません。しかし実のところ、この失望がどちらに早く来るかという点でいえば、断言していいでしょう、それは男の方なのです。皆さんが男に失望するよりも前に、男は女に失望しているという現実があるのです。しかし当の女性の方々には、そんな認識は一切なく、今も昔も自分は変わらず誠実だ、男を裏切って失望させることなんか絶対にない、と御思いでしょう。それでは一体これはどういうことなのでしょうか?

 

 回り道をするようですが、誠実さとはそもそも学んで習得することなのでしょうか?それとも人間に初めから備わっている特質で、誠実な人間はそれについて何かを学ばずとも誠実なのでしょうか?


 ギリシャの昔から議論されていることですが、ここでのテーマは男の女に対する誠実でありますから、誠実一般とその特殊事例を分けて考えてゆく必要があるでしょう。すなわち、誠実がどんなものであるかを先験的に自ずから認識することはできるが、男が女に抱く誠実さは、反省的にしか習得しえないというのが、現時点の私の認識で、さしあたりはこの前提の下で考えていきたいと思っております。

 

 この点、女性の男の対する誠実さというのは、かなり早い段階で習得されます。なぜここで男たちと差がついてしまうのか?答えは明瞭で、たとえば佐藤健のような美男子が演じる純愛ドラマには熱狂的な興味を示せないのが少年たちの性だからです。

 

 こう言ってみても、女性はなかなか信じることができないでしょう。たとえば毎年の春と夏、甲子園で青春の輝きを象徴する球児たちの笑顔や涙、真剣な眼差しを見て、誰が彼らに不誠実を感じるのでしょうか?純粋無垢な彼らが将来、わたしたち女を傷つけるとは夢にも思えないのです。そして皆さんの悲嘆はここにあります。夢を追う混じりけのない彼らを、冷めた不信の目で見なければならない。こんなに悲しいことがあるでしょうか?心優しい女性の皆さんは、そんな自分には耐えられないはずです。

 

 しかし現実的なことを申さなければならないのがこの記事の本質でありまして、誠に心苦しいのですが、彼らの頭の中には、とにかく1日でも早く童貞を卒業したい、という思いが常にあって、そこに誠実などという言葉は一切ないのです。つまりはそれは完全なるエゴでありまして、恋よりも先にセックスがある。白球を追い、全国制覇の夢を見ながら、彼らは同時に女性の裸体を夢見て追っているのです。なかにはとんだ馬鹿がいるもので、転がってきた白球が女性の乳房に見えてエラーしてしまう。こんな馬鹿はもう手に負えません。終生自分の性欲をコントロールすることに苦しむことでしょう。


 蛇足はさておき、男が最初に女に求めることは、性欲を満たしてほしい、ただこれだけなのです。それでは彼らが赤い糸に代表される恋物語に興味がないかといえば、実はそういう訳でもない。180度言っていること変わってしまうようですが、彼らもまた女性と同じように、固い愛で結ばれることを夢見ている。「かつては夢見た」と言ったほうが厳密かもしれない。

 ここには、先に述べた女性の恋愛的誠実の獲得段階における、男女の決定的な齟齬が関係しています。すなわち、女性たちがすくすくとその愛情を育んでいる間に、少年たちはばったばったと現実に打ちのめされていて、純愛の花を開かす誠実の萌芽をついには放棄するのです。この現実は(まだ序章にすぎないのですが)、とかく圧倒的な絶望をもってして抵抗力の未熟な少年たちに襲い掛かる一種の病でありまして、彼らをしてどんな努力も無意味に感じさせ、恋愛的虚無をもたらし、欲望をもっぱら女性のその肉体的魅力だけに向けさせてしまう、おそろしい絶望なのです。

 

 さて、そんな彼らが次に直面する現実は、お金をかけず気軽に性欲を満たしてくれる女性がほとんど皆無だということなのですが、詳述は後編に譲りたいと思います。