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グレイス・ペイリー『その日の後刻に』:死せる言語で夢をみるもの

 

その日の後刻に (文春文庫)

その日の後刻に (文春文庫)

 

 

 グレイス・ペイリーの第3作品集。ずらりとタイトルが並ぶ目次のなかで『死せる言語で夢を見るもの』は一際目を引く。何か詩的に深みのあるマジメな内容なのではないか?とついワクワクしてしまうのは、決して私だけではないだろう。

 

 だが、いい意味で期待は裏切られる。

 

 どんな風に裏切られるのかって、もうとにかくこのお話、痛ましいほどに関係の悪化している家族、泥沼にはまりこんでいる家族の人間臭いドラマなのだ。それでいて笑いどころが満載で、コメディでもあるよう。

 

 多少の読みづらさは否めないし、理解できないとこもままあるけど、大枠を理解するのに障害にはならない。ゆっくり読んでいけば、その面白おかしさに我慢できずジワジワときてしまうこと間違いないしだ。ここ最近読んだ小説のなかでは一番笑ったかもしれない。

 

 さて、2人の子を持つシングルママ主人公フェイスと衝突する彼女の詩人パパ、ダーヴィンじいちゃんは古き良き?白人おやじのステレオタイプそのもので、孫2人がこの老詩人と行動をともにすることを提案された際、母とすぐに会えるかと孫に訊かれ、爺やは答える……

 

もしママに会う必要ができたら、そう言えばいいのさ、ワン・ツー・スリー、ママはすぐに君の目の前にいる。いいね?(37p)

 

 序盤ではままバランスの保たれている娘との関係も徐々に崩れてゆくと、対する反応がいちいち愛憎を掻き立てる、憎めないおやじなのだった。

 

 フェイスの恋人フィリッピもなかなかいい味を出していて、終盤、フェイス親子が大もめしているところへやってきた彼と老詩人のそれぞれの反応は、極上の名演技といっても過言ではない。

 

フィリップは背を丸めてその小さな部屋を覗き込んだ。彼の顔は内気そうに決意を秘めていた……(59p)

 

 彼らに幸福が訪れることを願うばかりである……