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人間について真面目に考えてみるブログです。

ミシェル・ウエルベック『服従』:インテリの本質 (前編)

 

 

服従 (河出文庫)

服従 (河出文庫)

 

 

 《現実》という言葉で呼ばれているものほど、確実に存在しているくせに、その片鱗をさえ捉えがたいものはない。

 しかしそもそも、我々は現実というものを可能的に想像してみることしかできないのではないだろうか。いまこうしてブログを書き込んでいるという明らかすぎる現実もまた、つぶさに考えれば、たとえばソファに座っているとか、時計の秒針の音が聞こえるとか、昼食の香りがするとか、多様に働いている感覚の一部でしかなくて、そのなかから一つだけを殊更に取り上げ、残りの一切は捨象しているとするなら、ブログを書き込んでいるという明白に認識されている現実は、実際のそれが取っている形とは大きく異なっているはずだろう。同時にすべては把握できないのだ。

 目の前に展開される素朴な事象さえそうなのであるから、《社会》というただでさえ漠然としている観念の実際の有ようは認識が不可能とは言わないまでも、その可能性は水風船のように繊細で割れやすいに違いない。

 

 主人公、パリ第三大学教員ぼくは、こうした捉えがたい現実に翻弄される無様なインテリの一人だ。無神論者でありながら世俗的な欲望には冷めていて、その実性欲には素直で、小難しい文学論は仰々しく披歴するが、こと政治については疎い。疎いうえに無関心ときているのだから救いようがない。彼にとっては、大統領選という一大イベントはワールドカップの決勝戦と同じくらい、みんなと雰囲気を分かち合うだけの娯楽に過ぎなかった。

 文学青年らしい虚無を彼は抱えている。学業を終え、社会に出た瞬間から人生の最良な時期が終わりを告げたと考えているのだ。大学教授という肩書を手に入れ、四十四にしてなお、彼はかつてのようには存在の意義を感じられずにいる。

 こうした無気力が、彼をマッチョ傾向へ誘う。元カノにその傾向を問われて彼は答える。

 

「分からない、そうかもしれない。ぼくは多分いいかげんなマッチョなんだ。実際のところ、女性が投票できるとか、男性と同じ学問をし、同じ職業に就くことがそれほどいい考えだと心から思ったことはない」(41p)

 

しかし彼女の思いは切実だ。

 

「家父長制についてのあなたの考えが正しかったとするじゃない。それだけが実現的なプランだったとする。でも、わたしは高等教育も受けて、自分を独立した一個人と考えるのに慣れているし、男性同様考えたり決定したりする能力があると思ってる。だとすると、わたしはどうなるの?捨てられても構わない女だっていうわけ?」(44p)

 

彼はやはり冷めていた。

 

正しい答えはおそらく「そうだね」だったのだろう。でもぼくは黙っていた、・・・(44p)

 

 彼のような虚無に蝕まれた人間は、女性たちの恐れる抑圧に対しても、どうしたって熱い正義の情を抱けないものだ。

 それでいて、存在意義を感じられない彼をして生に執着させるものは、肉体的な快楽のみだった。とりわけ上述の元カノ、ミリアムがもたらす官能は際立っていて、

 

一回ごとのフェラチオが、一人の男の人生を正当化するに十分だった。(39p)

 

とまで言うのだが、もう述べたように、彼女の抱く不安に彼は冷徹だ。

 

男にとって愛とは与えられた快楽に対する感謝に他ならず、ミリアムほどの快楽を与えてくれた娘はいなかった。(38p)

 

もはや彼の考えているところの女への愛たる感謝とはなんなのか、よくわからなくなってくる。

 

 ともあれ、イスラーム政権誕生がいよいよ現実味を帯びてくれば、彼も無関心ではいられない。

 

  何が起こっているのか、何が起こるのか、情報集めに奔走するが、従来のメディアはなんの役にも立たない屍でしかなかった。結局彼が頼りにしたのは、右翼運動の中枢を担っているとみた新任の同僚だった。二十五歳の、一回り以上も年下の同僚に近寄り、恥ずかしげもなくこう尋ねる。

 

「政治状況は極めて不安定に思えるね……。正直なところ、君がぼくの立場だったら、何をする?」(92p)

 

そして彼は、右翼青年の新しい同僚から得た助言に、なんの疑念も挟まず従うことにして、翌日にはもう実行しているのだった……。

 

微かに人を馬鹿にするような笑みが彼の口元には浮かんでいて、しかし奇妙なことにぼくは彼に親しみさえ抱き始めていた。(94p)