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人間について真面目に考えてみるブログです。

【新刊】ピーター・テミン『なぜ中間層は没落したのか』:その1黒人と偏見

 

 

 

 偏見とは、根拠が乏しいから偏見というのである。しかし偏見の原因に根拠がないわけではない。火の立たないところに煙は立たない。偏見は確たる現実から派生するものだ。

 女性が肌を露出して歩けば彼女は街々の男たちから、「そのような」視線を浴び、「そういう風」に思われる。なぜなら現実にそういう女がいるからだ。

  うだつの上がらない惨めな男だって、髪型をビシッと決め、3ピーススーツを着て都会を颯爽と歩けば、彼は「できる男」だ。なぜならできる男は現実にそのような格好をしているからだ。

 たとえば仮に、万引きや窃盗を繰り返す人間の三人に二人が男という現実があったとしたら、我々は普通、女に対するよりも男に対したときの方が警戒心が強くなるのではないだろうか。

 実際、夜道を歩く女性は、後ろを歩いている人が女であるよりも男であったときの方が警戒心は強いはずだし、彼が何か不審な動きを見せれば、防犯ブザーを握りしめるかもしれない。

 

 アメリカにおける人種差別を対岸から眺めたなら、我々は簡単に否定的な態度をとることができる。心から黒人たちに同情を寄せ、安心してBLMを叫ぶことができる。

 しかし、「お前は犯人ではないが、犯人像にピッタリだ。」(本書77p)というある散文詩の句に代表されるように、法を犯す人間の大部分が黒人や移民によって占められているという現実がアメリカに存在するなら、夜道を歩く女性に、男を警戒するな、と言えないように、人種差別に苦しむ人々に心を痛めつつも、我々は現にその只中に身を置く白人に対して、偏見を持たず、肌の色で人を判断するな、とは言えないのである。

 

 という風に考えてみれば、いかにも私は視野が広くて知的にみえるが、どうやらアメリカの人種差別は、火のないところで煙が立っているくらいには深刻で、根深いらしい。

 

 こうした現実は、アメリカの経済をFTE部門と低賃金部門の二つに分けてみればわかりやすい。

  FTEとは、金融、技術、電子工学の頭文字をとった略称で(10P)、これの対義語のようなものとして低賃金部門が存在する。著者はこの二つを、ルーサーの二重経済に関する知見を援用し、対置する。資本主義の黎明期、都市部で工場に従事する労働者を掻き集めるためには、農村部で得られる報酬を極力低く抑え、そこに報酬を上乗せする必要があった。そうしたインセンティブにひかれて人々は都市部に移るのだが、現代アメリカもまた、そのような構造になっているのだと。

 昔は昔で、移動するにも障壁はあって、簡単なようではなかったらしいが、現代アメリカの障壁は教育にあり、よほど恵まれていないかぎり、FTE部門には移動できない。

 

 しかし低賃金部門の50%を構成するのは白人である(12-13p)。黒人の貧困は必ずしも本質的な問題ではなく、要するにこれは貧困一般が問題なのだが、どうしてかアメリカの黒人は三人に一人が刑務所を経験し、すべての黒人家庭が、収監中かその経験のある人を知っていると推計される。(49p)

 

 さしあたりこれが信頼できる情報としても、囚人の過半数は白人という(50p)。

 

 「貧しい白人は都心部に取り残され、貧しい黒人と同様な経済的社会的圧力にさらされている。・・・中略。都市部の白人の婚姻率は下落し、一人親家庭の割合は上昇した。貧しい白人の収監率は、黒人の収監率とともに上昇した。そして彼ら白人たちの間の信頼という社会資本の劣化は、黒人同様著しかった。」51p

 

 にもかかわらず、質問ボックス禁止運動により、試験的に行われたニューヨークでは、雇用者は個人情報の入手が妨げられたことで、黒人は元重罪犯である確率が高いとして拒否したという。(51p)

 

 してみると、本来、低賃金部門の白人と黒人とで、どっちが危険か?という偏見は、それ自体からは生じようがないはずだ。もし犯罪者の烙印を押すのであれば、白人であれ、黒人であれ、彼が低賃金部門に属するということだけで本来は十分であるはずなのに、そうはならず、この部門に属する白人は烙印から守られているのだ

 

 一体この違いはどこから来るのであろうか。

 

 著者は社会資本の崩壊の形に違いがあるという。低賃金部門における「黒人コミュニティでは、警察からの継続的な圧力が社会資本の獲得にとって常に脅威であるが、白人コミュニティでは、自分たちが忘れ去られているという感覚が自滅的行動をもたらし、飲酒や薬物による死亡率を上昇させ、教育水準の低い白人男性の死亡率の上昇を招いた。」(52-53p)

 

 要するにこの部門に属する白人はとにかく目立たない。警察沙汰は報道されることも多いだろうから、人の目に触れやすい。しかし一方で白人たちは人知れずこの世を去る。

 

 彼らが目立たないのか、黒人が目立ちすぎるのかはともかく、たとえ多くの白人が収監されていても、囚人といえば黒人であり、悪いことをするやつといえば黒人であるという観念は根強く残ってしまうものなのかもしれない。

 

 ある意味でこれは、低賃金部門内における、差別化の問題とも言えるのではないかとも思う。なんとか生き延びているが、目立たない彼らの、沈黙の、最後の自己防衛。朽ちてゆく社会資本をぎりぎりのところで彼らはつないでいる。

 FTE部門から見て、「低賃金部門は危険だ」と一概に烙印を押され、信用を早々と失うことを防ぐには、「黒人ほどではない」と線引きする必要があり、そういう意識が深層にあると解釈してみても、まったく理由のないことでは無さそうだ。

 

 

還流

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