serand park

人間について真面目に考えてみるブログです。

その2【英語】哲学しながら英文読解【チャレンジしよう!(無謀)】素人がヘーゲル精神現象学を英語で読んでみた

 

The Phenomenology of Mind (Dover Philosophical Classics)

The Phenomenology of Mind (Dover Philosophical Classics)

  • 作者:Hegel, G. W. F.
  • 発売日: 2003/11/19
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 it seems to be the truest, the most authentic knowledge: for it has not as yet dropped anything from the object; it has the object before itself in its entirety and completeness. This bare fact of certainty, however, is really and admittedly the abstractest and the poorest kind of truth. It merely says regarding what it knows: it is; and its truth contains solely the being of the fact it knows. Consciousness, on its part, in the case of this form of certainty, takes the shape merely of pure Ego. In other words, I in such a case am merely qua pure This, and the object likewise is merely qua pure This.

Hegel, G. W. F.. The Phenomenology of Mind (Dover Philosophical Classics) (p.54). Dover Publications. Kindle 版.

 『欠けるところの一つもない対象の姿を保持するその真正らしい知、以前は全体性と完全性において存在したそれ自体の姿のままだ。裸の事実たるこの確かさはしかし、実際のところ、もっとも空虚で、もっとも貧相な類の真理だ。知っていることをしか言わない。知っている事実の、その存在を単に示すのみだ。この形式の確かさの下では、意識は単なるpure egoという形をしか取らない。私は単なる「これ」として存在し、同様にして対象は純粋に「これ」として存在する。』

 

 

 I, this particular conscious I, am certain of this fact before me, not because I qua consciousness have developed myself in connection with it and in manifold ways set thought to work about it: and not, again, because the fact, the thing, of which I am certain, in virtue of its having a multitude of distinct qualities, was replete with possible modes of relation and a variety of connections with other things.

Hegel, G. W. F.. The Phenomenology of Mind (Dover Philosophical Classics) (pp.54-55). Dover Publications. Kindle 版.

 

 『私、私を認識するこの固有の意識、は私である以前にこの事実を確信しているが、それと結びつきながら心的存在として自己自身を〔これ的存在とともに〕発展させてきたから確信しているのでも、様々にそう思考を働かせてきたから確信しているのでもない。そしてまた、可能な様々の関係、他の諸々の事物たちと接することを可能にする無数の縁故に、この事実—(中略)—が満たされているからでもない。』

 

 Neither has anything to do with the truth sensuous certainty contains: neither the I nor the thing has here the meaning of a manifold relation with a variety of other things, of mediation in a variety of ways. The I does not contain or imply a manifold of ideas, the I here does not think: nor does the thing mean what has a multiplicity of qualities. Rather, the thing, the fact, is; and it is merely because it is. It is—that is the essential point for sense-knowledge, and that bare fact of being, that simple immediacy, constitutes its truth. In the same way the certainty qua relation, the certainty “of” something, is an immediate pure relation; consciousness is I—nothing more, a pure this; the individual consciousness knows a pure this, or knows what is individual.

Hegel, G. W. F.. The Phenomenology of Mind (Dover Philosophical Classics) (p.55). Dover Publications. Kindle 版.

 

 『どれもこれも、真なる感覚的確実さとは何らの関係も持たない。感覚的確実さのなかにおける、私、そして事物から、多様な関係性を読み取ることはできない。私、という言葉と種々の概念は結びつかず、ここでの私は思考することがない。そして事物は、なにか多様に異なる性質を持つものを意味しない。・・・・』


 と、頭を整理するためにここまで訳出してみましたが、この先、Rather以降をまともな文章で訳出することに意味はなさそうです・・・。むしろ解釈を記して、直接に英文と交互に照らし合わせた方がずっと有益に思うのです。本当はドイツ語も参照した方がいいのですが、こんな作業は答え合わせにすぎませんから、ずっと後でいいでしょう。

 さて、Rather以前を読むと、感覚的直感によって暴露される豊饒な存在が、多少は見えてくる気がします。すなわち、『多様な関係性を』見出すことはできない・・これはおそらくこういうことだと私は考えます。普段、我々はあらゆる事物に囲まれながら暮らしている。そしてこれらは、無秩序に存在しているのではない。すべてが何かしらの関係を持っていて、いま私が文章を打ち込んでいるこの当のパソコン、かたわらにあるつまみのお菓子、紅茶、これらは私によって利用され、私によって食され、私によって飲まれる、という、明らかに私との関係を所有しているのです。もっと遡れば、この三つの事物がパソコン、お菓子、紅茶、という概念と関係することでこれらは多様な関係性のなかに存在することできるのではないでしょうか。


 ところが、感覚的直感の段階では、こうした諸々の関係性がいまだ存在しないのです。それは私自身なるものについても言えることで、私は私に関係して初めて私自身になるのに、この直感の前では、やはりこの関係さえ存在せず、単なる「これ」であり、その他諸々の「これ」と同様の存在なのです。文字通りすべてが同様でありヘーゲルいわく『事物は、なにか多様に異なる性質を持つものを意味しない』ということなのだと。

 

 それではRather以降はどうか。正直、ここの英文がどんな構造になっているのかよくわからないのですが、おそらく原文のドイツ語でもそうなのでしょう、無理に訳すとひどい悪文の日本語になりそうで、英語で読んだ方がまだ受け入れやすいです。要するに訳出するなら解釈にしたがって文構造じたいをいじくるしかないのですが、だったら解釈を述べた方が早いというものです。


 それはさておき、—that is the essential point for sense-knowledge、と言っているあたり、非常に重要な部分であることがわかります。ただ存在する、という露わな事実、そして単純に即時的であること、これらが感覚知の真理をつくりあげるのだと。
ここまではいいのですが、突然、「関係としての確実さ」なるものが出てくるのだから、思わずハッとしてしまう。前段では、関係性というものがないと、私は言い切ってしまいましたが、どうやらそういう訳でもないらしい・・・。


 とあるものが持つ確実さ、これらもまた同じように、即時的で純粋な関係・・・・一応、感覚知の段階においても関係というものがあるらしく、ただそれは、普段我々が考えているような「関係」ではないのだと。とにかく即時的で純粋な関係・・なるものがあるのだと。

 
 要するに、確実である、ということからして、それは既に、あるいは直ちに、時間や空間を経ずにしてそれは「確実さ」と関係している、ということなのだろうか・・・・?続きを読んでみると、『the individual consciousness knows a pure this, or knows what is individual.』・・・・individualな精神は、純粋な「これ」を知っている、あるいは個を知っている・・・・?


 ぬぬうぬぬう・・・・・わかるぞ・・・わかる・・なんとなくわかる気がするぞ・・・!


 要するに個という意識なしに、あるいはその理解なしに、この——多様な関係に分岐しうるこの豊饒な一(イチ)なるものはそもそも捉えられないのに、我々にはそれができるのだ、だから我々は個であることがどういうことか、その初めから知っている・・ということでしょうか・・・・(自信なし)

 

 

還流

還流

 

 小説を出版いたしました!こちらもどうぞよろしくお願いいたします!